"謎解きフェルメール"という本を読んだ。フェルメールは、1600年代にオランダの都市デルフトに生まれた画家である。描いた絵は風俗画が多いが、現存する作品が30点くらいしかなく、しかも世界各地に散らばってる事もあり、希少価値も手伝ってか近年評価が高い。しかし確かに光の捉え方がうまいと感じる。
特に"青いターバンの少女(真珠の首飾りの少女)"
は有名でフェルメールの名前を知らなくてもどこかで見た絵だと思う人も多いだろう。
風俗画とは日本でいえば浮世絵だろうか?庶民の日常などをテーマに描かれた庶民のための作品が多い。
当時は宗教画を描くのが画家の本筋だが、オランダが君主制ではなく共和国だったことが風俗画を発展させたらしい。
ところで、本のタイトルだが、“謎解き フェルメール” となっているが、どうも謎解きとされる部分は的外れの解釈が多いと感じた。作品の紹介や時代背景などは大変参考になるも、肝心の謎解きは全く根拠薄弱で主観に寄ってると感じた。
この本の最初にフェルメールは写実主義ではあるが、作品の意図を表現するためにわざとパースペクティブを崩したりデフォルメを行っていると述べながら、謎解きの段になると、ある作品を例にあげてカメラオプスキュラ(写真機のような機械で被写体を投影し、それをなぞることで下絵を作る技法)を使ってない論拠にデフォルメをあげている。それも、画面全体のパースペクティブが狂っているのではなく、例に挙げた絵では扉の高さだけが狂っているのである。カメラオプスキュラを使ったらこんな縦長のドアにはならないはずだとして、カメラオプスキュラを使っていない論拠にしている。これって、この部分だけわざとデフォルメしたと考えられないのだろうか?最初にデフォルメは、自分で自覚してわざとデフォルメしたのであり、不正確な構図から生まれたものではない。と論じておきながら、カメラオプスキュラを使うとこんな不正確なプロポーションにはならないと論じている。全く矛盾している。
カメラオプスキュラを使ってようが、そうでなかろうがどうでもいいけど、異常に同じ構図の絵が多い事を思えば使っていると考えたほうが客観的な気がする。もちろん風景画もありすべての作品にカメラオプスキュラを使ったとは考えられない。
この筆者は、カメラオプスキュラを使う事が何か画家として後ろめたいことがあると思っているのだろうか?
女性特有のこうあって欲しいという願望のためにこじつけた論拠でしかない。カメラオプスキュラを使って正確に構図を決めて、それをデフォルメすることは悪いことなのだろうか?
読んでいてばからしくなった。こんな本に1300円も払って損した。
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