2009年6月28日日曜日

眩暈がしそうにない坂



いつも通りバリエーションとして、曇った日の眩暈坂を作ってみた。



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2009年6月27日土曜日

眩暈坂

眩暈坂(めまいざか)  -  聞いたことがあると思う。京極夏彦の小説に登場する坂である。小説の主人公、清明神社の神主で古本屋の店主でもある中禅寺秋彦、その彼の店である京極堂に行くために通らなければならない坂だ。



イメージしたのは梅雨の合間の晴天の日で、時刻は正午近く 地面が熱せられて気温はぐんぐん上がるが湿度は高いままで蒸し暑く、大気中の水蒸気とチリで遠くの景色がかすんでいる。坂だけが日の光を受けて白く浮き上がっている。緩くカーブした坂は一応舗装してあるがところどころのひび割れから雑草が生えている。坂に沿って、片側はところどころ崩れかかった土塀で、奥は竹藪。反対側は、荒れ地で雑草が生え放題の状態。そんな風景をイメージした。



坂の数値データは、幅員2mで延長250m、勾配は9m登っているので角度にして2度だからそんなにきつい勾配ではない。



あらためて小説を読み返すと、少し状況が違っていた。小説では坂の両側は土塀でその奥は墓地。登りきったところは蕎麦屋でその隣が京極堂になっている。場所も東京の中野だから、私がイメージした坂とは少し違うかもしれない。



今まで、インテリア空間を中心に光と影を考えてきたが、エクステリアでの光についても考察する必要があるかななどと考えているときに眩暈坂のことを思い出した。光というよりは日向、日陰の作りだす造形かもしれない。これからは外部の景観についても取り上げてみたいと思っている。



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2009年6月25日木曜日

時間軸

時間(建物が建てられてからの時間)が建築に与える影響は大きい。光と建築の関係を考察する時も時間軸を無視はできない。



古い建物が独特に持っている雰囲気は経年変化や使用感が大きく影響している。日焼け、使うことでできた傷や汚れに加え、その空間にある家具・什器も大きく影響する。建物は使用されてなんぼである。



ところで、今テーマにしている町家は、特に有名建築家が設計したわけではないが大変魅力ある造りをしている。
いや、むしろ有名建築家が設計した住宅というのはクライアントに受け入れられない場合が多い。良い例がミースファンデルローエのファンズワース邸だ。建築としての素晴らしさは右に出るものが無いが、住人にはすこぶる評判が悪い。



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町家の場合は、誰か一人がアイデアを出したのではなく長い時間の中での試行錯誤からうまれた形ではないだろうか?
間口の広さで税金の額が決まった時代に間口をできるだけせまく、いわゆる鰻の寝床の平面形で節税を考慮しながら通風・採光・防火・景観など住居としての機能、デザインを見事に満足している。



通庭には竈があり火を使うが、この吹き抜け空間は火袋と呼ばれ、火事の場合に火を上に逃し隣地に延焼しにくいように工夫されている。同時に吹き抜けがこの空間の雰囲気を決定づけているともいえる。



モデルに時間軸を与えてみた。経年変化と使用感である。竣工間もない想定のモデルと並べて比較してみると、光の与え方は同じでも違った空間に見える。



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2009年6月19日金曜日

陰翳礼讃 2

裸電球に照らされた中庭



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2009年6月14日日曜日

AGING (エージング)

AGINGとは、辞書を引くと 老化 などと出てくる。近年、化粧品のテレビコマーシャルでアンチエージングなどと使われている。



オーディオの世界では、スピーカーやアンプの慣らし運転のことを指すこともあるらしい。



建築の世界では、経年変化とでも訳せばいいだろうか?



耐用年数が何十年も、場合によっては何百年にもなる建築の場合は、竣工時のままで存在することはなく、経年変化は避けて通れない。しかし、メンテナンスを行うことで、美しく変化させることはできる。



人が住まない住宅はすぐに朽ち果てて行くが、人が住むことによって朽ちるのではなく味が出てくるのもそのためだ。



前回、町家をモデルとした建物のイメージを造った。夜の風景では、光と闇だけで雰囲気を表現できるので、モデルに経年変化を表現する必要がなかった。



しかし、同じモデルの昼間の表情を作ってみると、



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こんな感じになった。



モデル自体の完成度が低いこともあるがAGINGがない。建てられてから時間が表現されていないため味がないのである。



時間がたつにつれて、焼け・よごれ・シミ・歪み・傷 などがついてくるはずなのに、この絵には建てられてから時間がたった建物にある雰囲気がないのである。



このブログは、ひかりと建築をテーマに書いてきたため、時間にあまり気を使っていなかったが、建物のAGINGがその空間の質も変化させることをあらためて認識した気がする。



光と影が空間を表現するといっても、その空間の時間軸を抜きにしては語れないということだ。





2009年6月7日日曜日

陰翳礼讃

谷崎潤一郎の随筆のタイトルだが、日本人の光に対する感覚を良く言い当てていると思う。といっても時代がだいぶ違うために若い人にはピンと来ないかもしれない。裸電球の照明など知らない人が多いのではないか?



子供のころ祖母の家によく遊びに行った。今思うと通り庭のある町家形式の家であった。陰翳礼讃の場面と重なるところがある。中庭に面した厠に夜行くとき暗い廊下を通るのにずいぶん怖い思いをした記憶がある。



あまりよく覚えていないが記憶を頼りにこの家をモデリングしてみた。



お決まりの途中段階である。なかなかこれで完成というところまでいかず今まですべて中途半端で終わっているが、少しづつ完成に近づけていこうと思う。



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夜の通り庭。裸電球の色温度の低い赤い光で照らされ、よく磨かれた黒光する柱に反射している。高い天井や、隅まで光が届かず陰がある風景になっている。



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この廊下の先に厠がある。奥は光が届かず、子供にとっては妖怪や魑魅魍魎が出てきそうな雰囲気である、がどことなくこの風景に親しみがわくのは私だけだろうか?







2009年6月1日月曜日

西方浄土

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兵庫県小野市にある極楽山浄土寺、そのお寺の中に浄土堂という阿弥陀如来を安置する国宝のお堂がある。西方浄土を再現したことで有名な国宝のお寺だ。


上の絵は、晴天の夏の夕方、西側の蔀戸を全開して光を取り入れた状態をシミュレートしたもの。約30度の角度の西日がお堂の床に反射し、朱に塗られた化粧小屋組を照らすことで、堂の中央に配置された阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩の3体の仏像が赤く輝いている。また床は反射光でハレーションを起こし白くぬけてあたかも仏像が雲の上に浮いているような感覚になる。


仏像のモデリングは大変時間がかかるし、資料も少なく難しいためデフォルメしている。


仏像に詳しい人からクレームがきそうだが、このブログの趣旨は光の演出を考えることのためご容赦願いたい。


この堂は、今から800年前に創建された重源上人の作。重源は真言宗のお坊さんで同時期に奈良に東大寺の再興を行った人である。


浄土堂も東大寺と同じ構造様式の大仏様を採用している、しかしそれだけでなくここでは、周辺の景観を取り込みながら浄土をこの世に再現するという演出を行っている。


宇治の平等院鳳凰堂も東向きに建てられ、鳳凰が羽を広げた様に似た鳳凰堂を池越しに西側に見る配置は浄土を再現したものと言われているが、光の演出をここまで考えた建物はここだけではないだろうか?


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下の写真はこのお寺の周辺の航空写真(google map)だが、真西より少し北に振れた角度で浄土堂が建っている。この少し北に振れたことが重要なのだが、西側正面に溜め池が来るように浄土堂が配置されている。お寺の伽藍自体がこの軸で構成されているところをみると、お寺の建立時から考えられた配置のような気がする。


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なぜ西側正面に池が来るように配置したのかは、このお堂の演出と大きくかかわっている。


西日を池の表面で反射し、お堂の中に導き入れるように設計されているのだ。そのために晴天の多い夏、真西より北に太陽が沈むことを計算し、少し北に振った軸で池が正面に来る配置が考えられたものと思われる。


東側上空から見た、浄土堂と池の様子を再現してみた。


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浄土堂のモデル(外部はかなりはしょっているため、今後、仏像とともにリファインしていく予定)


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小野市という場所を選んでこの演出を考えたことも計算のうちであろうか?


奈良や京都の様な大都市でこの周辺景観を取り込むという演出を行っても、800年間そのままであることはなく演出意図は忘れ去られていたことと思う。


このお寺も1980年代に解体修理がおこなわれるまで約400年間は、西側の蔀戸は板戸で覆われ自然光が入ることはなかった。


通常仏像が安置されているお堂というものは、窓がなくうす暗い雰囲気の中に金色の仏像が浮かび上がる絵のほうがイメージしやすい。400年前の人もそんななじみの雰囲気の中で仏像を拝みたかったのだろう。下図は、自然光が入らない状態で、蝋燭の光でシミュレートしたものだ。


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背後に闇が存在し、日本人にはなじみの空間である。陰翳礼讃。


しかし西日を入れた絵は圧巻であり、日本のお寺にはまずない光の演出である。


演出意図は忘れられても、800年にわたり周辺環境が変わらなかったことに感謝したい。


というか重源という人の洞察力に敬意を表したい。


浄土宗は、南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行けるという教えで一般大衆に広く信仰されている宗派である。多くの人を信者にするために、西方浄土を目の前に再現して見せるというのはかなり効果のある演出だったのではないだろうか?